昔、祖父母は秦野・横浜間をどう移動したのか?―大正時代から戦中の建物疎開
乗りながら、昔、横浜に住んでいた母方の祖父母は、横浜から祖父母の故郷の秦野市渋沢に、どのように行き来したのか連想してしまった。
横浜駅の壁に、明治、大正、昭和、平成の横浜の地図が乗っていた。
←大正時代の地図の一部
←大正時代の地図の一部
祖父母の家は、大正時代から戦前まで横浜の長者町にあった。
明治時代の地図には長者町はないが、大正時代にはあった。
大正時代に、祖父母は、長者町で額縁屋を営んでいた。
今の横浜吉田中学のそばで、当時は、市電が通っていた通り沿いである。
今の横浜吉田中学のそばで、当時は、市電が通っていた通り沿いである。
祖父が、秦野から横浜に出てきたのは、明治の末頃では?と思う。その後どうやって、仕事を覚え、額縁屋を営むようになったのかは聞いていない。
ただ、祖父が横浜に来た頃は、まだ街灯は電気ではないガス灯があって、夕方になると、火をつける人が1カ所ずつ、つけて回ったという話を、母から聞いた。
祖父と祖母が結婚した正確な年はわからないが、大正の始めであったろうと思う。
祖母も秦野の出身で、結婚して、横浜に出てきたのだろうと思う。
調べてみると、東海道線の横浜-国府津間が開業したのが、1887(明治20)年、明治22年に国府津駅から、今の御殿場線を経由して浜松までつながったそうだ。
1934(昭和9)年に丹那トンネルが開通するまでは、御殿場線が、東海道線そのものであったわけだ。
御殿場線の松田駅は、秦野市の渋沢から比較的近い。祖父の実家があった場所から約7kmであった。
つまり、明治の終わりから大正の時代に、祖父や祖母が、秦野と横浜を行き来した手段は、おそらく松田駅から東海道線であったのではなかろうか。
ちなみに、東海道線は、1920年(大正9年)、国府津駅から熱海まで延びて、小田原駅が開業した。
小田急線の小田原駅までの開通は、1927(昭和2年)年で、相鉄本線が横浜から厚木まで開業したのも同じ年のようだ。
その後、第二次世界大戦の終戦前1945(昭和20)年5月29日に、横浜は大空襲に出合った。
戦時中、横浜では、火災の延焼を防ぐために、つながる家を間引きに壊していく建物疎開が行われた。
祖父母の家は、1923(大正12)年の関東大震災の後、建て直したものだ。ちなみに、関東大震災のがれきを埋め立てた跡地が、横浜の山下公園である。
そうやって、建て替えた家も、20年ちょっとで、建物疎開という行政の政策で、壊されることとなった。
祖父は、悔しかったのか、最後の日まで、実家に居座ったと聞いたことがあった。
そして、祖父母の一家は、建物疎開による移転費で、秦野に土地を得て、疎開することになった。当時は、小田急線はあったが、自家用車が普及していない時代だ。
秦野まで、家財道具を大八車で運んだろうと、私は思い込んでいたのが、どうだったんだろう?
戦時中の当時、引っ越し業者とか頼めたのだろうか?
横浜、渋沢間は、地図で見ると、約46km。坂道も多く、重い荷物を抱えてでは、一般人がそう簡単に行けそうもない。
ちなみに、伊勢原と横浜市の磯子とを結ぶ旧大山道である長後街道は、昔からあったようだ。
横浜での建物疎開の研究は、伊藤亮氏らによる研究がPDFで見ることができた。
終戦の年に、祖父は50歳であった。
横浜で都会で個人事業を営む生活から、疎開先で小さな畑を作って生活を始めた。
しかし、終戦後、物不足の中、母の兄姉が、病気なのに、ろくな治療も、栄養も確保できずに、20代で亡くなった。
祖父母は、大事なものを次々と失った。
祖父母は、その後、横浜に帰ることはなかった。
私の知る晩年の祖父は、気難しいおじいちゃんであった。ただ、酒好きなのは、受け継でいるのかもしれない。
松田駅といえば、2022年1月に御殿場線を乗りに行ったことを思い出した。
←当時の写真
←当時の写真
その時の記事は「2022年01月05日御殿場の富士山と沼津」に書いた。

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出羽三山と月山登山(山形県)
8月6日(日),7日(月)、山形県の月山へ、(株)四季の旅のツアーで行ってきた。
6日朝、新宿に集合して、バスで出発。
午後、湯殿山の本殿、羽黒山の出羽三山神社に参拝した。
午後、湯殿山の本殿、羽黒山の出羽三山神社に参拝した。
この2カ所は、2016年8月出羽三山(山形県)のときも、訪れていた。

湯殿山本宮の入り口。中は、撮影禁止。上半身だけ白装束。
今は、神社だが、江戸時代までは、お寺でもあったから、五重塔があるわけだ。
夕食は、精進料理。
左下のだだちゃ豆が、とてもおいしくて、ビールを頼んでしまった。おかげで、お腹いっぱい。
2日目は、朝5時出発で、8合目までバスで行った。
←その近くの弥陀ヶ原から登山を開始した。
←その近くの弥陀ヶ原から登山を開始した。
なだらかな斜面を延々、上っていくわけだ。
ツアー参加者の多くは、ほぼ同世代の中年、女性が多かった。休憩も多く、みんなでペースを合わせて、上り下りするのは、悪くない。
山頂の本宮に参拝し、先達さんが、祝詞を上げてくれた。ここは、撮影禁止で、御朱印をいただいた。
出羽三山は、それぞれ現在・過去・未来を表し、月山は過去、先祖の霊が鎮まる場所とされている。
出羽三山にお参りしている道中、ずっとそのことを意識していたせいかわからんけれど、宮田坊で、寝ているときに、故人の友人が夢に出てきて、やけに鮮やかな夢で記憶に残った・・・不思議。

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富士登山 当日編
7月16日、はとバスのツアーで、朝7時に新宿集合で、昼に富士五合目に着いた。そこで、登山ガイドさんらに会い、登山開始。
休憩も多く、ゆっくりしたペースで進んだ。
ここら辺は、のんびりしたもの。
富士登山の当日、ガイドさんが話していたが、富士山で上り下りすることで消費するのは約4000kcal。
フルマラソンが約2500kcalなので、水分とともに、休憩のたびに食品を食べることを勧められた。
私は、腱鞘炎なこともあって、登山用の杖(トレッキングポール)なしで、上り下りしたが、ほとんどの人が使っていた。
約5時間半かけて、17:20頃、山小屋の太子館に着いた。8合目、3100m。
夕食後の仮眠は、周囲の音がうるさくて、ぜんぜん眠れなかった。
ご来光を見るために、24時前に起きて、山小屋を出発した。
前日も、朝5時前に起きているし、寝不足、極まりない。
8合目から頂上までの上りは、登山客が多過ぎて、大渋滞。
ヘッドライトを付けた人たちが、止まっては進みを繰り返した。外国人もとても多い。
ただ、お天気には、恵まれ、深夜、8合目では、それほど寒くなかったのが幸いであった。
星空がたくさん見られた。天の川、流れ星。
私は、きれいな星空を眺めるのは、経験なく、昔からの憧れだ。でも、この日は遠くを見るためメガネを持参しなかったため、くっきり見えなかったのが残念。
9合目以降は、寒く、ダウンジャケット、手袋が必要となった。岩場を、勢いで、周囲の人たちの勢いで、がんがん登らされた。
頂上もとても混んでいたので、やや離れて、ご来光を待った。
←山中湖、首都圏の方向。
←山中湖、首都圏の方向。
ガイドさんの一人は、6年間、富士山に登っているが、その中で、最もきれいなご来光といっていた。
富士山は、でかい。上りも、下りも、かなり距離が長く、ある程度、体力がないと厳しい。
下りは、上りほど時間はかからないが、五合目まで5時間以上かけて降りた。
やはり休憩が多い。下りで、ひざを痛める人も多かった。
ガイドさんの存在は、貴重。ガイドさんが話しかけてくれたのも、よかった。
また、休憩時間になれば、登山道沿いのどこであれ、ザックを下ろして、座ることもためらう者もなく、すぐにできていた。これだけ過酷だと、体が休憩を求めているので、地べたの岩砂がどうとか言ってられない。そこら辺は、強迫症で、地面の汚れが無理な人は、どう思うのかなと思ったりした。
また、休憩時間になれば、登山道沿いのどこであれ、ザックを下ろして、座ることもためらう者もなく、すぐにできていた。これだけ過酷だと、体が休憩を求めているので、地べたの岩砂がどうとか言ってられない。そこら辺は、強迫症で、地面の汚れが無理な人は、どう思うのかなと思ったりした。
ツアー参加者の中には、8合目の山小屋で頂上を断念し、五合目まで、下山した人たちもいたそうだ。
その後、ツアーは、山中湖の温泉によって、帰宅した。
富士山は、信仰の山なので、参拝して、御朱印をいただいた。右が五合目の冨士山小御嶽神社。左は、頂上の久須志神社。
冨士山小御嶽神社は、イワナガヒメ(磐長姫)を祭っている。
吉田ルートで登ると、頂上の神社、奥宮は、久須志神社なのだが、富士宮ルートだと、浅間大社奥宮があったそうだ。
富士山で神社といえば、まず浅間大社で、 木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)を祭っている。
富士山に、また登るのは、しんどかったので、考えものだが、ふもとの浅間大社には、そのうちお参りしたいと思った。
とりあえず、一生に一回の富士登山は、達成できた。
近年、新型コロナもあったし、60代になって、特に身体を使う活動は、できそうなうちに計画しないと、チャンスを逃してしまうと思うようになったので、よかった。

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富士登山 準備編
7月16,17日の富士登山のツアーに申し込んだ。
今回は、そのために持ち物を揃え、体調を整えた話から。
そこで、ひものしばり方などを工夫して、7月9日に、二度目の高尾山を上った。
道中はいいのだが、帰宅するまでの道のりで、やはり足首を痛めてしまった。
まずい。あと、1週間で治さないと、富士山に登れるのかどうか?
危機感が出てきたのであった。
危機感が出てきたのであった。
そんなこともあって、前回7月18日のブログ記事で書いたように7月11日、腱鞘炎で鍼灸を受けてきたときに、足のケアもしてもらった。

しかし、この新しい登山靴で登るのは、怖くなったので、ワークマンで靴を買った。2900円で、安いが、履き心地は問題なさそう。
それと、薬局で、足首用のサポーターも買った。
慣れない運動のためには、体のコンディションを保つのが、最優先だと、痛感した。
また、靴も、間に合って、ほっとした。
結局、富士山は、この靴と、靴下の中にサポーターを履いて、上り下りした。
ご来光を見るため、夜明け前の深夜に歩く。頂上近くは、真冬の気温らしいので、ネットの通販でユニクロの薄手のダウンジャケットを買った。
夜間用のヘッドライト、速乾性の下着、雨具は、ワークマンである。
地元三鷹駅の登山用品店では、厚手の靴下とザック(30リットル)を買った。
大手のスポーツ用品店で、登山グッツを買うと価格が高いので、それ以外の店で用意したのであった。
腱鞘炎も、足首も、症状が緩和し、行けそうな状態になってきた。
<次回は、富士登山 当日編へ>

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マウスの使い過ぎで腱鞘炎?上腕骨外側上顆炎?
マウスを使い過ぎたためか、右の前腕が痛むようになった。腱鞘炎らしい。また、調べていくうちに、腱鞘炎の部位によって上腕骨外側上顆炎という病名もあることを知った。
1.きっかけ
6月11日(日)市民参加の提言の原稿を、朝から夜にかけて、延々チェックしていたときが、きっかけだったと思う。膨大な量を、時間に間に合うべくPCでチェックしていて、右手を使いすぎたのであった。
1.きっかけ
6月11日(日)市民参加の提言の原稿を、朝から夜にかけて、延々チェックしていたときが、きっかけだったと思う。膨大な量を、時間に間に合うべくPCでチェックしていて、右手を使いすぎたのであった。
その後、PC操作をしているときに、右腕が痛むようになった。仕事で、PC操作は欠かせない。
2.負担が少ないマウス
検索して、エルゴノミクスマウスが、腕への負担が少ないと知った。
6月23日に、それを、ヨドバシカメラで探した。
というわけで、6月28日に、エルゴノミクスマウスを買った。こちらの方が、まだマシのようだ。
これを使っているうちに、マウス操作はましになった。
3.痛む場所を圧迫してはいけない
しかし、今度は、マウス操作をしていないときでも、肘に近い前腕部分が痛むようになった。
この頃、右腕の痛む筋肉の部位を、何度ももんでいたのだが、腱鞘炎では、痛む部位を強く圧迫してはいけないと、後になって知った。
おかげで、寝ていても、腕の姿勢次第で痛むので、気を使うようになった。
4.腱鞘とは
そもそも腱鞘とは、何かを知らなかったので、調べた。
腱とは、骨に沿って、ツル植物のようにひも状に張り付いていて筋肉とをつなぐ白い組織で、コラーゲンが主成分らしい。
腱がスムーズに動くように、腱の周りには、滑液(かつえき)という液体があって、それを包む被膜が腱鞘だそうだ。
腱鞘炎とは、腱鞘が、厚くなる、固くなるあんどして、うまく働かず、痛み、腫れを引き起こすのだそうだ。
参考:
参考:
このままでは、16日に富士登山で、山小屋に泊まるのに、腕の痛みで眠れるかと心配になったので、知り合いの鍼灸師に予約を入れた。
7月9日、腱鞘炎、薬と検索し、ロキソニンのローションを、薬局で買った。
7月11日、鍼灸師に、初めて受診した。
知り合いは、今ではこの道のプロとなっていた。
腕のことを他人に相談したのは、初めてなので、誰かに理解してもらえるのはいいなと思った。
鍼灸というのは、腕が痛みでも、そこだけでなく、全身をするのだそうだ。
9日に、登山靴の試し履きで、また足首が痛くなったので、足もケアしてもらった。
お灸のもぐさの匂いは、私は好きだが、しばらくたつと、熱くなってしまう。
この晩は、痛みも緩和し、寝やすくなった。
6.上腕骨外側上顆炎
その後も、PCやスマホをいじりすぎると、腕の付け根のあたりが痛む。そこは腱鞘といっても、骨に近いかというと、よくわからない。
調べてみると、上腕骨外側上顆炎(じょうわんこつがいそくじょうかえん)というのがあり、これもPC操作などの使い過ぎで、痛むことがあるのだそうだ。
他に、雑巾やタオルを絞るときとに痛むというのも、当てはまった。肘の外側に出っ張った骨のすぐ下のあたりだ。
ここで、指と手の関節を伸ばす筋肉の根元が骨にくっついて腱鞘となっている。そこに炎症が起こっているらしい。
というわけなのに、この原稿を書いていたら、また痛み出したので、そろそろ終了。(*_*;

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久々の高尾山
月曜は、休業なので、高尾山に行ってきた。
過去のブログを見ると、前回、高尾山へ行ったのは、相模湖駅から「小仏城山から高尾山」で2019年11月だった。約4年ぶりなわけだ。
今日の目的の一つは、この前買った登山靴を試しに履くことだ。それ以前に履いていた登山靴もハイカットだったのだが、今回のは、歩き始めてしばらくたつと、足首あたりが当たって、痛くなってしまう。
高尾山の薬王院。過去のブログを見ると、前回、高尾山へ行ったのは、相模湖駅から「小仏城山から高尾山」で2019年11月だった。約4年ぶりなわけだ。
今日の目的の一つは、この前買った登山靴を試しに履くことだ。それ以前に履いていた登山靴もハイカットだったのだが、今回のは、歩き始めてしばらくたつと、足首あたりが当たって、痛くなってしまう。
高尾山は、元々は修験道が切り開いた仏教信仰の山である。
今日は、初めて、御朱印を書いていただいた。

雲が出ていて、眺めはイマイチ。
今朝は、7時過ぎの電車に乗っていったが、自宅から頂上まで、ケーブルカーを使わないで、お寺にゆっくりお参りしても、2時間でついてしまった。
下山して、まだ昼前だったが、高尾名物のそばを食べた。
夏野菜の天ぷらそば。
ちょっと高いが、登山というのは、グッツを揃えたり、旅費で、かなりお金がかかるので、それに比べると、財布のひもも緩むわけである。
駅のそばの極楽湯に初めて寄った。土日は、混んでいるだろうから、今日は、平日なので、入ってみたわけだ。
極楽湯ができる前は、高尾駅から送迎バスで「ふろっぴー」という公衆浴場があって、何度か行っていたのだった。高尾山口駅前の方が、登山客にとっては便利がいいに決まっている。
夏野菜の天ぷらそば。
ちょっと高いが、登山というのは、グッツを揃えたり、旅費で、かなりお金がかかるので、それに比べると、財布のひもも緩むわけである。

極楽湯ができる前は、高尾駅から送迎バスで「ふろっぴー」という公衆浴場があって、何度か行っていたのだった。高尾山口駅前の方が、登山客にとっては便利がいいに決まっている。
極楽湯の下駄箱には、登山靴専用のコーナーもあった。露天風呂に入った。
夏至も過ぎて、今年も、もうじき後半である。
夏至も過ぎて、今年も、もうじき後半である。

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この頃の井の頭公園
ブログ更新が、遅れてました。この頃、忙しくて。
でも、ランニングは、少し頻度は落ちたものの、続けています。
写真は、5月の末、相談室の昼休みに、井の頭公園に、ランニングで行ったときのもの。
池のほとりにある井の頭弁財天
弁財天については、2022年02月22日のブログ記事「井之頭弁財天 神社のようでお寺(東京都三鷹市)」で詳しく書きました。

この頃は、植物の緑が美しい。
モネの絵みたい。

七井橋から池を眺める。
植物も水も、気分を癒してくれます。

数年前に、OCDウォークというイベントに参加したときに着たTシャツ。
強迫症(OCD)を知っていただくため参加者が、お揃いのTシャツを着て、アピールするもの。

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でも、ランニングは、少し頻度は落ちたものの、続けています。
写真は、5月の末、相談室の昼休みに、井の頭公園に、ランニングで行ったときのもの。

弁財天については、2022年02月22日のブログ記事「井之頭弁財天 神社のようでお寺(東京都三鷹市)」で詳しく書きました。

この頃は、植物の緑が美しい。
モネの絵みたい。

七井橋から池を眺める。
植物も水も、気分を癒してくれます。

数年前に、OCDウォークというイベントに参加したときに着たTシャツ。
強迫症(OCD)を知っていただくため参加者が、お揃いのTシャツを着て、アピールするもの。

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ご飯だれ、ひしお・・・瓶詰め

これは、おいしい。
写真は、半ば食べている途中。
京都は、漬物でおいしいものが多いが、こういう味もあったものかと。

試食して、おいしかったので。
これは、賞味期限が長いから、食べるのは、まだ先。

ひしおは、友人から聞いて、初めて知ったのだが、発酵調味料。
お寺のお土産物屋さんで見つけて、これのことかと思った。
自宅で開封したら、お味噌みたいだが、豆の粒がそのままで、関東の商品だからか、わりとしょっぱい。
この頃、近くの農家で、キュウリが売られる季節になってきた。
キュウリに、ひしおをつけて、食べてもよさそう。
ひしおのレシピを検索すると、それなりに出てくる。
この頃、ランニングしているせいか、食欲もいくらかましてきたし、こういう食品もあるので、ご飯は、なるべく炊く機会を増やしたいと思ってはいる。
でも、今週から、仕事が平常通りになると、普段の日は忙しくて、そうもいかないかな。

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佐白観音、雨引観音(坂東三十三観音9、茨城県)
関東で千年以上の歴史のある観音様を訪れる坂東三十三観音巡礼。
5月3日、茨城県笠間の佐白観音、正福寺と、岩瀬の雨引観音へ行った。私は、順不同で参拝していて、今日は13,14番目のお寺である。
朝、東京駅のホームで、当日、JRの特急券を買おうとしたら、GWのせいか満席で買えない!自販機で、友部というマイナーな駅のせいか、指定席以外のボタンもない。そこで、スマホで、他に行く手段を検索して、急遽、上野駅に行って、常磐線快速に乗ることにした。これだと、1時間以上よけいにかかる。
常磐線で、友部駅に着いた。ここから、かさま観光周遊バスに乗るつもりだったが、私の到着が遅れたので、待つことになるかと思っていた。そしたら、案内係らしい男性が、声をかけてくれて、笠間で、GW中、陶炎祭というイベントをしていて、そこ向けの臨時バスに乗った方が早いと言う。私は笠間神社の方に行きたいというと、そこで乗り換えると早いという。それで、臨時バスに100円で乗って、陶炎祭のバス停についたが、乗り換えがわからない。あの男性の言ったことは、本当か?と思いもよぎりつつ、そこで、別の案内の男性に聞いた。そして、乗り換え場所を教えてもらい、笠間稲荷神社前へ行った。そこで、ようやく佐白観音へ着いたわけだ。
予定通りにいかないところが、一人旅らしい。この日は、モバイルバッテリーも忘れて、スマホの電池も節約しつつ・・ハプニングはあるものだ。

←佐白観音は、できたのは7世紀と古いが、こじんまりしたお寺であった。ご本尊の観音様を直接、見られず、別室で映像の画面で見た。
次に笠間稲荷神社に寄った。
名前は、聞いたことがある関東でも有名な稲荷神社だ。
←藤棚がきれい
参拝後、次の雨引観音へ向かうために、JR笠間駅から岩瀬駅に向かう電車は、約1時間後だと判明。
門前は、それなりにお店があって、高菜入りのお稲荷さんを買って、食べた。
そこから、笠間駅までは、結構遠い。あとで、バスに乗れば良かったと思った。
岩瀬駅から雨引観音へは、ヤマザクラGOという桜川市のバスで行った。土日祝だけ雨引観音のバス停に寄るので、GW中に行く計画を立てたわけだ。そうでないと、その前のバス停から片道2.5㎞を歩くことになる。それも、行って分かったが、かなりの山道で、平日のバスがない日でなくて、よかったと思った。

←雨引観音。
ここは、建物も多く、庭園も整備されているお寺であった。ただ、やはりご本尊が直接見られないのが、残念。
←雨引観音からの眺め。
眺めがいいということは、それだけ寺が山の中にあるということ。
この辺りは、平野が広く、田んぼが多い。原始時代は、海だった地域もある。 この日訪れた観音寺院ができた6-7世紀は、開拓され稲作が広まっていたのだろうと思う。雨引観音のご由緒によると、嵯峨天皇の821年、大干ばつのとき、納経をして祈願したら、雨が降ったらしい。
ここから、つくばへ向かうヤマザクラGOは、16時台になってしまうので、この日は、次の筑波のお寺はあきらめた。そして、14時台に岩瀬駅に戻るバスに乗った。そして、JR水戸線で、栃木県の小山駅経由で帰った。

旅行中、あちこちで田んぼを眺めていたら、これからは、お米を買うときに、茨城県や栃木県産もいいかなと思った。
以前、筆者が世話人をしている患者会(OCDお話会)をやっていた頃は、電車が通過した常磐線の千葉県、茨城県、東北線の埼玉県、栃木県と関東のあちこちから、三鷹まで来てくれていた人がたくさんいた。そんなことを、乗りながら、思い出したりしていた。自分が出かける身になると、ほぼ1日がかりで、当時、参加してくれていた人たちには、感謝である。
1日の歩数は、Google Fitnessによると14,560歩。
階段の上り下りも多かったし、けっこうな運動である。巡礼だから、ま、いいかである。
2023年01月30日長谷寺と鎌倉(坂東三十三観音8、神奈川県)
2022年10月07日
2022年09月12日

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5月3日、茨城県笠間の佐白観音、正福寺と、岩瀬の雨引観音へ行った。私は、順不同で参拝していて、今日は13,14番目のお寺である。
朝、東京駅のホームで、当日、JRの特急券を買おうとしたら、GWのせいか満席で買えない!自販機で、友部というマイナーな駅のせいか、指定席以外のボタンもない。そこで、スマホで、他に行く手段を検索して、急遽、上野駅に行って、常磐線快速に乗ることにした。これだと、1時間以上よけいにかかる。
常磐線で、友部駅に着いた。ここから、かさま観光周遊バスに乗るつもりだったが、私の到着が遅れたので、待つことになるかと思っていた。そしたら、案内係らしい男性が、声をかけてくれて、笠間で、GW中、陶炎祭というイベントをしていて、そこ向けの臨時バスに乗った方が早いと言う。私は笠間神社の方に行きたいというと、そこで乗り換えると早いという。それで、臨時バスに100円で乗って、陶炎祭のバス停についたが、乗り換えがわからない。あの男性の言ったことは、本当か?と思いもよぎりつつ、そこで、別の案内の男性に聞いた。そして、乗り換え場所を教えてもらい、笠間稲荷神社前へ行った。そこで、ようやく佐白観音へ着いたわけだ。
予定通りにいかないところが、一人旅らしい。この日は、モバイルバッテリーも忘れて、スマホの電池も節約しつつ・・ハプニングはあるものだ。

←佐白観音は、できたのは7世紀と古いが、こじんまりしたお寺であった。ご本尊の観音様を直接、見られず、別室で映像の画面で見た。

名前は、聞いたことがある関東でも有名な稲荷神社だ。
←藤棚がきれい
参拝後、次の雨引観音へ向かうために、JR笠間駅から岩瀬駅に向かう電車は、約1時間後だと判明。
門前は、それなりにお店があって、高菜入りのお稲荷さんを買って、食べた。
そこから、笠間駅までは、結構遠い。あとで、バスに乗れば良かったと思った。
岩瀬駅から雨引観音へは、ヤマザクラGOという桜川市のバスで行った。土日祝だけ雨引観音のバス停に寄るので、GW中に行く計画を立てたわけだ。そうでないと、その前のバス停から片道2.5㎞を歩くことになる。それも、行って分かったが、かなりの山道で、平日のバスがない日でなくて、よかったと思った。

←雨引観音。


眺めがいいということは、それだけ寺が山の中にあるということ。
この辺りは、平野が広く、田んぼが多い。原始時代は、海だった地域もある。 この日訪れた観音寺院ができた6-7世紀は、開拓され稲作が広まっていたのだろうと思う。雨引観音のご由緒によると、嵯峨天皇の821年、大干ばつのとき、納経をして祈願したら、雨が降ったらしい。
ここから、つくばへ向かうヤマザクラGOは、16時台になってしまうので、この日は、次の筑波のお寺はあきらめた。そして、14時台に岩瀬駅に戻るバスに乗った。そして、JR水戸線で、栃木県の小山駅経由で帰った。

旅行中、あちこちで田んぼを眺めていたら、これからは、お米を買うときに、茨城県や栃木県産もいいかなと思った。
以前、筆者が世話人をしている患者会(OCDお話会)をやっていた頃は、電車が通過した常磐線の千葉県、茨城県、東北線の埼玉県、栃木県と関東のあちこちから、三鷹まで来てくれていた人がたくさんいた。そんなことを、乗りながら、思い出したりしていた。自分が出かける身になると、ほぼ1日がかりで、当時、参加してくれていた人たちには、感謝である。
1日の歩数は、Google Fitnessによると14,560歩。
階段の上り下りも多かったし、けっこうな運動である。巡礼だから、ま、いいかである。
2023年01月30日長谷寺と鎌倉(坂東三十三観音8、神奈川県)
2022年10月07日
2022年09月12日
2022年08月03日
2022年05月24日
2022年04月11日
2021年12月08日
2021年11月25日

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