心理師 有園 URL引っ越しました

ブログでは、精神・心理だけでなく、ネットで共有したい情報を幅広く載せています。 仕事では、都内の精神科診療所と私設相談室の2ヶ所に勤務しています。ブログでは、病気など個別の相談はできません。m(_ _)m

9月末に手をケガしたので、無理せず、ハイキングのつもりで、JR武蔵五日市駅(東京都あきる野市)から金比羅山に登った。 JR中央線は、奥多摩、高尾、山梨方面と、手軽に山に行けてしまうので、行きたいなと、しばしば思っていたのであった。 今日は、ハイキングだから、登山靴でもなく、ジーパンで、正午から登るというイージーな企画。
20201101asou01
金比羅山の山頂(468m)のちょっと手前からの写真。
昼は天気がよくて、新宿当たりの都心まで一望。


20201101asou04もう少し行けそうなので、尾根沿いに麻生山に向かった。
植林した場所が多い。
枝を間伐して、まっすぐのびた木が、植わっている場所がたくさんある。
尾根沿いを歩くのは、気持ちがいい。
ここは、ここは御岳山の人気のコースから外れて、地味なのがいい。
たまにマウンテンバイクの人や、ランニングスタイルでクマよけ鈴を鳴らしながら走っている人とかいた。

20201101asou02麻生山(794m)山頂。
私は南側から、立札を見つつ登ってしまった。しかし、後でガイドブックを見ると、初心者は南側には行くなと書いてあって、どおりで、斜面が急で、枝とか切り株につかまらないと、上りづらい斜面であった。こういうところは、登山靴にしておけばと思った。
20201101asou03麻生山頂に、ベンチが2つあったけれど、1つは草でおおわれて、座れないような、管理されていない場所。
少し曇ってきたけれど、それでも眺めはよい。
帰りは、白岩滝のコースが崩落していて通行止めと表示されていいたが、どっちに行けばいいとは書いてない。
他の道に行こうかと思ったら、間違って、林道に行ってしまった。
でも、川沿いに下って、つるつる温泉の近くの都道に出たが、ふもとの林道入り口に着いたら、通行止めになっていたので、ちゃんと登山道を通るべきであった。反省。 つるつる温泉に来たのは、かなり久しぶりだが、新型コロナの影響で入場制限をしていて、混んでいたので、入らなかった。そこからバスに乗って、武蔵五日市駅からは、ホリデー快速に、久々に乗って帰った。

本日歩いたのは、スマホの万歩計によると、約2万8千歩!
登山のときは、不思議とトイレに入らないで、長時間平気でいられる。今日も、正午に武蔵五日市駅のトイレに入った後、夜20時頃、帰宅するまで、トイレに入らないでいた。不思議だ。



にほんブログ村


今日は、午後、電車に乗っているうちに、いい天気なもので、神奈川の方に行ってみました。
JRから小田急線に乗り換えて、目標を江ノ島にしました。
なるべく各駅で、電車の中で座って、PCで原稿書きの仕事をしつつ。
自宅でPC作業していると、ついネットを見て、だらけてしまうのですが、電車だと、たまにスマホを見る程度で、自宅よりはかどりました。

今年は、新型コロナもあったせいで、東京都を出るのは、久しぶり。
江ノ島あたりだと、いつでも行けると思っていると、なかなか行かないでいるものです。
駅を出ると、すぐに海が見えます。
20201025eno01
いい感じ。
4時近いにも関わらず、結構、混んでいて、橋を渡って、江ノ島に入りました。


20201025eno02
階段を上って、江島神社に参拝。



20201025eno04
そして、山を越えて、裏側の奥津宮の方から、岩屋のある磯の方に降りていきました。
ここも人が多い。岩屋は、長蛇の列で、見ませんでした。
20201025eno03
陽が傾いて、南に大島もくっきり見えました。
写真は、西の伊豆半島の方向です。





にほんブログ村


私の名字の有園の他にも、前園、小園、上園、松園・・・「園」がつく名字のルーツは、鹿児島県のケースが多いです。
「名・苗字・名前一覧 - 漢字検索」というサイトで「園」のつく名字が載っているが、なんと多いこと。
「薗」と草かんむりがつく名字のケースもよくあります。
これらの名字をPCで変換すると、園、薗のいずれも出てくることがあります。

名字由来netで調べると、「鹿児島県の〇園という地名や名字が多いのは、米以外の農作物を栽培した畑のことを「園」と呼んだため。ほかの地域では「畑」のことだそうです。
つまり、他の地方なら「田」「畑」みたいな意味で、有園=畑がある、前園=畑の前みたいな意味だったのだろうと思います。「田」に置き換えたら、上記は「有田、前田、小田、上田、松田・・・」と、なじみのある名字に当てはまります。

江戸時代までは、主にお米を年貢として納めていましたが、鹿児島は、火山の噴出物でできたシラス台地が多く、江戸時代中頃までは、稲作に適さない土地が多かったそうです。
また、台風が通ることも多いのですが、科学的な天気予報がなかった時代には、台風は、予測と対策が難しい厄介なものであったろうと考えられます。
そのため、「かだいおうち」というサイトでシラス文化について書かれていて、米以外のサツマイモ、大豆、なたね、粟、麦、そばなどを栽培していたそうです。
つまり、これらを栽培していた農地を「園」と呼んだわけです。

そして、薩摩藩では、門割(かどわり)制度(鹿児島県>藩制のしくみ)によって、農民も、1つの村を数戸ごとの門に分割して、農地を割り当てられ、年貢を納めていました。Net IB News>鹿児島の歴史(4)によると、その門割の名前が、明治時代になって、そのまま名字になったケースがあるそうです。

下の動画の後半に、シラス台地と農業のことが出てきます。鹿児島のご先祖様は、大変なご苦労されたのだろうと思います。




ちなみに、当ブログの鹿児島関係の記事は、
2015年5月「父の同窓会と、昭和20年代の鹿児島の写真」
2015年1月「鹿児島と特攻隊」



にほんブログ村


映画「メイキング・オブ・モータウン」を、吉祥寺のアップリンクという映画館で見てきた。

モータウン・レコードは、1959年、アメリカのシカゴでできたアフリカ系アメリカ人のポピュラー音楽のレコードを作っていたレーベル。
マイケル・ジャクソンがいたジャクソン5ステービー・ワンダー、ダイアナ・ロスもいたスプリームスなどが、所属していた。
1950年代までは、音楽産業も、人種によって差別されていたが、モータウンの音楽は、人種を超えて、ヒットチャートに曲を連発していった。
作曲、ダンス、アーティストの養成・・・すべてが斬新で、エネルギッシュで、人々をワクワクさせた。

そして、イギリスのロックバンド、ビートルズやローリングストーンズがカバーした曲の中にも、原曲はモータウンのアーティストが作った作品がたくさんある。
ビートルズ「プリーズ・ミスター・ポストマン」「マネー」なんかがそうだ。
ローリングストーンズ「エイント・トゥー・プラウド・トゥ・ベッグ」は、元はテンプテーションズ。

私が、モータウンの曲を聞き始めたのは、1970年代の後半からだ。
ビートルズやストーンズの影響と、当時は、スティービー・ワンダーが、すごかったので、関心を持ち始めた。
1980年頃のニューウェーブの頃は、ジャムの「ヒートウェーヴ」とか、ワムの「ラブ・マシーン」、ミック・ジャガーとデビッド・ボウイの「ダンシング・イン・ザ・ストリート」とかカバーされることも増えた。

映画「メイキング・オブ・モータウン」は、知らない話も多くて、面白かった。
かなり斬新で、クリエイティブなレコード会社だったと思った。
モータウンレコードができた頃は、まだ人種差別が公然と行われていた時代で、人種や男女に関係なく仕事が行われていた。
しかし、南部にツアーに行ったときは、まだ公民権運動の前の社会で、トイレも白人とは別。銃を突きつけられるなど、大変であったことが伺えた。
そして、マーヴィン・ゲイのWhat's Going Onの話は、感動した。今でも、アメリカでは人種差別に関連した事件が起きて、抗議活動が行われるけれど、歌詞の内容は、今でも通じるものがある。

映画を見て、チャレンジしなきゃって、エネルギーをもらえた。





にほんブログ村


毎年、10月の第2週は、強迫症/強迫性障害(OCD)を知ってもらう週間で、世界各地で、さまざまな広報活動が行われています。

強迫性障害という精神疾患は、患者数は多く、それで悩んでいる人は多いと思われますが、それほど知られていません。
日本でも、Twitterを通して、OCD患者さん、関係者のつぶやきを拾い上げては、リツィートし合っております。OCDサポートのTwitterはここです。
今年は、いろいろな方がメッセージを発信してくれているので、よろしければご覧ください。
2020aware01j
OCDサポートの「OCDを知る週間」についてははここです。




Twitterで、流した情報の一部をここに一部紹介します。
リソルサの矢野先生のサイトで、当事者の方の音声インタビューが掲載されています。
スポニチ 10月10日の記事「辛坊治郎氏「強迫神経症」を患っていると明かす「僕は典型的なHSP」「細かいことが異様に気になる」
Frontrow2020年5月「カミラ・カベロが告白した「強迫性障害(OCD)」って?意外と知らない“不安”の正体

新型コロナウイルスの流行とともに、多くの人が除菌や洗浄をするようになり、中には、その警戒感が強く、コントロールが難しくなっていて、知らぬ間に強迫症的になっている方もいるのではと思います。

そのようなご時世ですので、この病気を広く知ってもらうことが大切だと思っております。

明日以降も、Twitterは、更新しますので、よろしくお願いいたします。m(_ _)m


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 強迫性障害(強迫神経症)へ
にほんブログ村

 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセラーへ
にほんブログ村


三鷹のOCDサポートの相談室に勤務している水、木曜の昼は、以前は、お弁当を買ってきて食べることが多かったです。
特に、新型コロナの緊急事態宣言の頃は、あちこちの飲食店がテイクアウトを始めたこともあって、それを買ってきては食べをしていた時期もありました。
4月27日のブログを見ると、そんなことも書いてあります。

忙しいときは、調理している時間もないので、近隣で買ってきたものを、さっと食べて、終了ですけど、この頃は、自炊の日が、ちょっと増えました。
以前は、自宅で炊いてきたご飯を持参したときもあったのだけれど、保温器に入れても冷めてしまう。
20201001jis01

そこで、昨年だったか、ミニ炊飯器を買ったのですよ。
これなら0.5合、1食分も炊けます。


20201001jis02
炊きあがった姿がこれ!
これで、ほかほかの飯が作れるようになったのですよ。
しかし、保温が短時間しかできないので、作るのは1食分。


精神科の仕事なので、包丁とまな板は置いていないため、おかずは、鍋で煮る、炒める程度のものしかできません。でも、相談室のビルの前に、コンビニがあるし、スーパーも近いので、カット不要の食材がすぐに手に入ってしまうのですよ。こんなのも、ここで作れるんだという意外感がたまにあって、面白いです。

あと、この頃、YouTubeで、ヒロシさんのキャンプの動画を見ていていいなと思いつつ、かといって、遠くに行く暇はない。
というわけで、キャンプというほどではないのですが、自宅の調理とキャンプの中間みたいなことを相談室で、一人でやっているわけですよ。
緊急事態宣言のテイクアウトと同様に、ブームなので、いつまで続くかわからないのですが・・・本当は、焚火とかして、のんびりしたいです。
昔、福祉施設の仕事をしていた頃は、バーベキューなどの行事もしばしばあったのですが、もう10年以上ご無沙汰です。
下の動画を見て、ちゃんぽんも、相談室で食べたくなりました。^^;





にほんブログ村


9月13日のブログ「井の頭弁財天道(1)黒門と弁天様」で、井の頭弁財天の鳥居である黒門から、弁財天へ降りる道の記事を書きました。

その後、検索したら。荻窪圭氏のブログ「甲州街道から井之頭弁財天参道を行く」を見つけました。
読んでみると、甲州街道(国道20号)の旧街道から、井の頭弁財天へ行く参道があったそうです。
起点は、杉並区上高井戸で、京王線の芦花公園駅のそば。
そこから、世田谷区北烏山、三鷹市牟礼、井の頭に続いています。

私は、以前は、この地域に住んでいたこともあり、懐かしい場所です。
その道が、こんな由来があったとは。
そこで、自転車で、かつての参道をなぞってみました。

20200921ino01

1)旧甲州街道の道標。
正面が「井之頭弁財天道」、左が「別当所 大盛寺道 一里」と書かれていて、井の頭弁財天のある大盛寺まで一里(4キロ)だそうです。






20200921ino022)国道20号を渡って、北へ進みます。杉並区上高井戸で、庚申搭があります。
ここの二股を、左へ道なりに。
ここいら辺は、約30年前、私が病気だった頃、リハビリがてら、散歩していた地域ですね。この道が、井の頭への参道だったとは、びっくりです。
昭和40年代までは、畑が多かった地域なのだけれど、今は、宅地が増えました。
20200921ino03
3)高架になった中央高速道の下をくぐります。
この右手の先に、玉川上水があります。



20200921ino044)また、庚申搭。
杉並区教育委員会による看板の内容は、このページに
それによると、江戸時代1700年代に建てられたもの。当時は、久我山村字原、この場所のもう少しよりの井之頭道の交差点にあったものを、ここに移動したものだそうです。
西というと久我山病院のある交差点あたりでしょうか?
岩崎通信機は、1943年に久我山に移転していますが、すぎなみ倶楽部のサイトを見ると当時は軍需工場になっていたそうです。この近隣の久我山病院も、国学院久我山高校も、みんな岩崎通信の関連施設だったようです。

荻窪圭氏のブログでは、ここら先は、人見街道へ行くコースAと、下本宿通に向かうコースBの2つが考えられています。
昭和の宅地化が始まる前は、A人見街道の辺りは武蔵野の雑木林が多く残っていました。
Bの方は、三鷹市の辺りは、三鷹台団地の東側を通りますが、三鷹台団地は昭和30年代は田んぼで、その横の道の方が、視界が開けていたのではと思います。牟礼の里日記に田んぼだった時代の写真が載っています。
20200921ino05
5)Bコースを通って、
三鷹台団地の横の児童館のある交差点。




20200921ino06
6)その先の古峰神社。明治にできたそうです。
ここが二股になっていて、左が人見街道のAコース、実側に行くと、下本宿通りに行く道のBコースです。


20200921ino077)牟礼2,3丁目、三鷹台団地から井の頭線の三鷹台駅に向かう交差点。
ここをまっすぐ進むと、井の頭弁天で、9月13日「井の頭弁財天道(1)黒門と弁天様」で紹介した黒門の鳥居のある二股に行きます。
左側に進むと人見街道、府中に向かいます。


202009inogashira_map
上記の写真の地点をgoogleマップに、印をつけました。

甲州街道の上高井戸から井の頭弁財天まで、1里で4km。
日本橋から上高井戸(江戸時代は、高井戸宿)まで、5里20km。
往復で、48㎞、フルマラソンより長い距離です。
江戸時代で、ここまでお参りした人って、健脚だったのだなと、つくづく思います。



にほんブログ村


私の専門は、心理カウンセリングで、主に病気の相談や心理療法を行う。
カウンセリングでは、認知行動療法をすることが多いので、他のカウンセラーに比べれば、いろいろな行動をしたり、書いたりという作業も多い。
しかし、聞く話すが、大切なことは言うまでもない。

この頃、患者さんと話した時の録音(もちろん承諾済)を聞いているのだが、自分の話し方の下手さは、何度聞いても、悶絶させられる。

主な欠点は、2点(;´Д`)
1)「あのー、えーと」が多い。
何かを考えているとき、つい言ってしまうが、自分で聞くと、うっとうしい。
これは、大学の英語の先生に、指摘された記憶が、たぶんもっとも古い。

2)早口。これは、高校時代の国語の発表のときから、指摘された。たぶん、あせると、はまってしまう。
福祉の仕事で、相手が知的障碍者や高齢者のときなら、ゆっくり合わせられていると思う。しかし、一番まずいのは、人前で発表の時。

こういうことに気づいて、しばらくは話し方に意識しても、また元に戻ってしまう。
こういう癖って、自分は、普段困らないので、ついついですよ。
OCDお話会は約13年間、やってきたけれど、こういう話し方を連発してきたんだろうなと思うと、また恥ずかしい。

以前、患者さんで、毎回「あのう」という人がいて、相談に乗ったことがありますが、それより、自分のことは棚に上げてですよ!

今さらですが、改めるようにしたいです。(ノД`)・゜・。

20200916bil

写真は、相談室のあるビルの屋上から、都心方面を眺めたもの。
遠くの緑が、井の頭文化園で、そのはるか向こうに、渋谷のビル。
左の頭上に、いかにも雨が降りそうな雲が覆いかぶさってきています。


9/29追記:
検索したら「プレゼンで「えー」「あのー」を解消する方法」というページを見つけました。
私の場合も、緊張やら、どうしようか考えて困っているときに、ついつい「あのー」と言ってしまうと思います。人前で話すのは好きなのですが、元々、緊張しやすい性格です。
「うまく話す必要はない」というのは、その通りで、私も、そう思っています。話し方よりも、次に適切なことを話そうと、その内容をあれこれ探している間に、「あのー」と言ってしまうのではと思います。アメリカで、英語で話したときのインタビューでも「あのー」と言っていて、あとで録音を聞いたら、超悶絶でした。(ノД`)・゜・。

以前、心理師同士の勉強会で、ある発表者さんのカウンセリングでの動画を見せてもらいました。その音声を消してみると、クライアントさんよりも、心理師の方が緊張して見えたことがあったのですが、私だって、自分で気づいていないだけで、そういうことはあるのだろうと思います。



 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセラーへ
にほんブログ村


昨日は、出勤のときに、チャリで、ちょっと寄り道をして、井の頭弁財天に行ってきました。

人見街道を三鷹市牟礼のサミットストア三鷹台団地店が近くにある交差点で、井の頭公園方面に向かう細い道があります。
20200912ino01
そこを西に進むと、井の頭弁財天の鳥居、黒門があります。
黒い鳥居。


20200912ino02


黒門には、石碑があって「神田 御水源 井頭弁財天」と書いてあります。
井の頭池は、湧水がわいていて、そこから、神田川となって、東京の神田方面へ流れていきます。









20200912ino03
黒門をくぐって、左の大盛寺の横にある階段で、池のふちというか、島に建つ弁財天に降りられます。


20200912ino04

階段、石に両国と書いてあります。


20200912ino05島なので、橋を渡ったところに、弁財天はあります。
検索したら、三井住友トラスト不動産>江戸期・明治期の吉祥寺に、昔の絵や写真が載っておりました。

灯篭には、日本橋。
神田川は、江戸時代の1620年に、氾濫すると江戸城にまで影響したため、ルートを変更して、今のJR御茶ノ水駅の横の外堀を、神田山を掘削して隅田川の両国付近へ流れ込むルートに変えられました。
神田山は、2つに分かれたので、北側を湯島台、南側を駿河台、掘削してできた水路を神田川と言ったそうです。
それ以前の神田川は、飯田橋から内堀へと流れ、日本橋へと通じる日本橋川(当時は、江戸川と呼ばれた)にそそいでいたそうです。
つまり、井の頭池の水は、1620年までは日本橋に通じていて、その後は、両国に通じているとわかると、この石碑も意味深のような気がします。

久しぶりに境内に入り、お参りをしました。
奥には、七井不動尊や、銭洗い弁天もあります。

七井というのは、湧水が7つあったからだそうです。
あとで、井の頭弁財天のHPを見たら、境内の撮影は許可がいるとのことでしたので、境内の様子は、そのHPをご覧ください。
井の頭弁財天は、崖の上の大盛寺が本坊で、一体となったものだと、初めて知りました。

弁財天は、インドの女神様サラスヴァティーです。
琵琶をもっていて、音楽の神様でもありますが、水をつかさどるので、井の頭池にも祭られたのでしょう。井の頭の弁財天は、平安時代頃からあるそうです。
ただ、日本神話では、水に関する女神というと、宗像三女神がいて、福岡県の宗像大社、広島県の厳島神社など多くの神社で祭られています。
日本では、仏教伝来後、江戸時代まで、仏教と神道が混在している時期があり、神仏習合と言うそうです。その時代に、宗像三女神は、弁天様として、サラスヴァティーと区別があいまいになったようです。
そのため、神社でも弁天様を祭っているところがあるし、井の頭弁財天もお寺なのに、鳥居があったりします。

20200912ino06弁財天のそばの写真の緑地は、昭和の頃、屋外プールがありました。
井の頭池の湧水をつかっているとかで、夏でも水温が低かったのです。井の頭恩賜公園などで調べたら、プールは昭和8(1933)年にできて、昭和58(1983)年に閉鎖されたそうで、私が子どものころ、行ったときには、どうりで古かったわけです。
この辺りに、戦前から住んでいた方に、以前、聞いた話では、子どもの頃は、水もきれいだったそうで、池に直に入っていたそうです。

井の頭弁財天の黒門までの道は、9月21日「井の頭弁財天道(2)旧甲州街道から三鷹市牟礼」に書きましたので、よろしければ。


にほんブログ村