親父(80代)は、来月高校の同窓会があって、お誘いの手紙にぜひ来てくれと書いてあって、わくわくしているようだ。(笑)
そこで、高校時代の写真をプリントして、持っていって、みんなに見せたいという。
小さいと見えないから、大きなサイズにしてほしいと、頼まれた。

そこで、自宅に父のアルバムを持ち帰って、スキャンして、Photoshopで、画像のゴミをとって、修正してあげた。
12枚。そして、写真屋さんでハガキ大にプリント。
以前は、PCを使ってイラストの仕事をしていたので、画像修正は得意。
知り合い高齢者さんの思い出の写真の修復や遺影の準備を引き受けてあげたこともあった。

昭和20年代、鹿児島の薩摩半島の高校生だった父らは、昭和24年に公開された映画「青い山脈」に刺激されて、男だけで自転車に分乗してハイキングを試みたらしい。
そのときの写真で、映画を意識したのか、いろいろなシーンが写っていた。
しかし、まだ道路も舗装されていない、火山岩むき出しのごつごつ道。3台に二人乗りしたと言っていたが、乗れたのかね。
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当時の田舎は、自動車自体がろくにないから、二人乗りも今のような危険はなかったはずだ。

行く先は、千貫平といって、桜島と開聞岳が両方、見渡せる峠なのであった。錦江湾(きんこうわん)の海も見える。

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写真を見ると、天気はよさそうで、当時は眺めはよかったのだろうけれど、何せ昔の写真なので、写りがよくない。
でも、当時のカメラは貴重品だったろうな。当時、弁当にも困っていた親父が持っていたはずもなく、他の同級生が写したんだと思う。
戦時中、中学生だった父たちは、知覧の特攻隊の基地で働かさせられていた世代で、戦後は自由になったせいか、写真もなんかおおらか、皆さん、将来がこれからの若者って感じだ。

7年くらい前、両親と鹿児島に旅行したとき、親父がここを通りたいと言った。
親と鹿児島へ行ったのは、私が子どものとき以来なので約40年ぶり?
レンタカーを運転していったが、きれいな道路で、千貫平も整備されていた。
その後で、東京に帰ったら、昔のアルバムを見せられて、寄りたかったわけがわかった。
父とは、仲がいいわけではなく、過去、いろいろないきさつがあったが、高齢になってからは、何を言っても無駄なので、それはあきらめつつ、普段、父が母の介護をしているので、写真くらいはいいかなという感じ。

来月の父の同窓会、東京で行うのに、参加者が何十人だったか、かなり参加者がいるらしい。
新制高校だから、女子もいるといっていた。
父は80歳過ぎても、元気だ。
母は都会育ちで、昔の女学校の友だちは、空襲など戦中戦後の混乱でちりじり・・・そういうのはノータッチ。
都会と地方、昔は違いが大きく、どっちがいいとは比べられない。



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