実家は、前回書いたように、私が子どものころ、アイスクリームの卸業と小売りだった。
当時は、アイスも、最安は10円なんてのもある時代だった。

私は、小学校2年から店番をさせられていたので、当時は、ほとんどの商品の値段を覚えていて、暗算で合計でもお釣りでも計算していた。
まだ消費税もなかったし、計算は楽だった。
店番の他に、卸業なので、お得意さんからかかってきた電話の応対とかもしていた。
母親が家事や買い物に行っている時間は、ほとんどなので、夏休みは、毎日、かなりの時間、仕事していた。
父親は、繁忙期の夏は、朝から夜までほとんど外回りの配達に出っぱなしだった。

大人になって、妹が就職して、
研修で「いらっしゃいませ」とかお客様の対応を教わったとき、
他の新人が、大変だと言っていても、妹はどこが難しいのかと話していたが、うちの3兄妹は、そこいら辺は得意科目なのであった。

だもんで、夏休みに家族で旅行なんて、ありえない話で、
小学校3年のとき、
先生が「みなさん、夏休みにどこへ行きましたか?」と聞いて、
全員に話を聞いていって、みんな次々に「**へ行った」
と答えていく。どこへも行っていないなんて、答える子は誰もいない・・・
というわけで、私の番が来たら、泣いてしまった。
それを後で、みんなに笑われた。

小学校4年以上になると、
自転車で行ける近所には、段ボールに入ったアイスの配達とか、
トラックから運ばれてくるアイスの荷卸しやら、あれこれこなしていた。
働きすぎで、子どものくせに肩こりなんてあって、夏にトクホンを肩に張って、2学期の始業式に行ったら、朝礼で肩が暑くてしかたないってことがあった。
そんな実家なので、アイスは食べ放題であったけれど、当時は子どもの虫歯が流行っていた時代で、私も子どもの頃は、虫歯がひどかった。
そして、小学校6年の夏休みでは、母が何週間か入院していた頃は、お店のきりもりは、ほとんどしていた。
スーパー小学生だよね。
家事は、祖母が応援に来てくれていたけれど、お店のことはわからないから。
今の時代なら、子どもそんなに働かせていたら、問題になるだろうけれど、そこが昭和。

中学校になると、お店の手伝いが嫌で、進学塾の夏期講習とか行くようにしていた。
ただ、親も、自分たちのような体をこき使う肉体労働を子どもたちに継がせるつもりもなく、そういう塾は容認していてくれたのだと思う。
こういう体験をすると、中学高校と、他の同級生と価値観がずれてしまう。
他の生徒が、思春期で色気づいたり、ぐれたり、スポーツの勝ち負けとかで、華々しくエンジョイしていても、なんかそういうのに乗れず、中高は地味に学校に通っていた。

それから年月が経ち、30代後半に、宅配会社で、アルバイトをしていた。
その頃は、自分の病気はかなり治っていたが、親の問題があって、他の仕事ができなかったためだ。
トラックの荷卸したり、配達したり、大学出ても、子どもの頃から進歩がないな・・・なんて思う日々だった。
会社で、トラックの運行管理の資格がいるからって、講習受け行かされたりね。
201606techou
40代になってから、親との関係をある程度、清算した。
そして、福祉や精神科関係のことを仕事にするようになったけれど、
30代までは、ぜんぜんそんなビジョンは見えていなかった。


Rolling Stone(流れる石)か、
「川は流れてどこどこ行くの」ではないけれど、
流れた先が、そこだったって感じ。

大人になってから親との関係はよくなかったけれど、
両親が70代になったとき、
両親は遠くの旅行はあまりしたことないので、
父の故郷の九州と、母の念願の京都に3人で出かけた。
小学校のころとは、立場が逆転したなって感じね。

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