今日は、七夕。
昨年、このブログで、「七夕物語は、このままでいいのか?」という、七夕への疑問を書いたのだが、今年も、疑問が思い浮かんでしまった。
短冊に願い事を書くではないですか、
幼稚園や小学校だと、書かされたりするでしょう。
その願い事って、誰がかなえてくれる?
神社の神様、お寺の仏様ではないような?
人に書かせといて、その願い事を、誰がかなえるか、わからないって、無責任な話でない?
こういう誰が行うことか主語がわからない会話って、日本語だとわりとあるもの。
織姫、彦星って、若い頃、仕事をさぼって、新婚生活に夢中になっていたために、別れさせられた人たちなので、他人の願い事を聞いて、かなえてあげる能力があるとも思えない。
たとえば、
「受験で合格できますように」って願えば、
織姫か彦星が、
「新婚生活みたいに楽しいことに夢中になって、本業をおろそかにすると、
私たちみたいになるから、 自分で努力しようね」
と答えて、おしまいになってしまうのではなかろうか? (;◇;)
そのような疑問を解決すべく、
ネットで調べると、
「鳴海屋紙商事(株)」の七夕サイトでは、
「中国では七月七日に、この牽牛と織女のニ星を祀って技芸の上達を祈る乞巧奠という行事がおこなわれてきたと伝えられていました。」だそうで、願い事を書くのは、日本ならではの風習らしい。
牽牛(彦星)と織女(織姫)を祭ってはいるのだから、神様のようなものだろうか?
京劇の「天河配」によると、織女は、天帝という天地・宇宙・万物を支配する絶対的な神様の娘だそうだ。
そして、織姫を牽牛と別れさせて、会えるのは年一回と定めたのは、織女の母、西王母という女仙人だそうだ。
牽牛と織女も、そういった神様のような存在なのだろうか?
本場の中国ではどうなんだろうね?これは、まだ謎。
むしろ、ネットを見ていると「気になるネタをお届け!」に、
「当日晴れず曇ってしまったり、雨が降ると、
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昨年、このブログで、「七夕物語は、このままでいいのか?」という、七夕への疑問を書いたのだが、今年も、疑問が思い浮かんでしまった。
短冊に願い事を書くではないですか、
幼稚園や小学校だと、書かされたりするでしょう。
その願い事って、誰がかなえてくれる?
神社の神様、お寺の仏様ではないような?
人に書かせといて、その願い事を、誰がかなえるか、わからないって、無責任な話でない?
こういう誰が行うことか主語がわからない会話って、日本語だとわりとあるもの。
織姫、彦星って、若い頃、仕事をさぼって、新婚生活に夢中になっていたために、別れさせられた人たちなので、他人の願い事を聞いて、かなえてあげる能力があるとも思えない。
たとえば、
「受験で合格できますように」って願えば、
織姫か彦星が、
「新婚生活みたいに楽しいことに夢中になって、本業をおろそかにすると、
私たちみたいになるから、 自分で努力しようね」
と答えて、おしまいになってしまうのではなかろうか? (;◇;)
そのような疑問を解決すべく、
ネットで調べると、
「鳴海屋紙商事(株)」の七夕サイトでは、
「中国では七月七日に、この牽牛と織女のニ星を祀って技芸の上達を祈る乞巧奠という行事がおこなわれてきたと伝えられていました。」だそうで、願い事を書くのは、日本ならではの風習らしい。
牽牛(彦星)と織女(織姫)を祭ってはいるのだから、神様のようなものだろうか?
京劇の「天河配」によると、織女は、天帝という天地・宇宙・万物を支配する絶対的な神様の娘だそうだ。
そして、織姫を牽牛と別れさせて、会えるのは年一回と定めたのは、織女の母、西王母という女仙人だそうだ。
牽牛と織女も、そういった神様のような存在なのだろうか?
本場の中国ではどうなんだろうね?これは、まだ謎。
むしろ、ネットを見ていると「気になるネタをお届け!」に、
「当日晴れず曇ってしまったり、雨が降ると、
天の川が氾濫し、二人にとって年に一度の機会もつぶれてしまうのだそうです。
これを哀れんだ地上の人々が、
笹と短冊を奉じて二人が会えるよう祈る、これが七夕の起源となったようです。」
とあるように、地上の人々の方が、願ってあげる風習であったようでもある。
・・・「二人の幸せを願ってあげる」・・・世の中が平和になりそうな感じだ。
今のように川の堤防や天気予報などが発達していなかった時代の人にとっては、河川が氾濫しないよう願うことにも結びついた。・・・世のため、人のためっぽくていいね。
そもそも天帝や西王母は、年一回会える日を、梅雨時の七夕ではなく、
始めから、冬の晴天が多い季節にしてあげればよかったではないか!!
冬のオリオン座のでかい星を、牽牛と織女にすれば、
寒い季節に、夜空を見上げたとき、
「毎晩、仲いいね」と、ほっこりして、めでたし・・・で済むだろうに、
梅雨時というのは、意地悪な日程選びではないか?
この時期、神田神保町の書店街の通り沿いには、毎年、笹の葉と短冊が、何カ所も置かれている。
織姫や彦星が会えますように
と、今年は祈ってみよう。
とあるように、地上の人々の方が、願ってあげる風習であったようでもある。
・・・「二人の幸せを願ってあげる」・・・世の中が平和になりそうな感じだ。
今のように川の堤防や天気予報などが発達していなかった時代の人にとっては、河川が氾濫しないよう願うことにも結びついた。・・・世のため、人のためっぽくていいね。
そもそも天帝や西王母は、年一回会える日を、梅雨時の七夕ではなく、
始めから、冬の晴天が多い季節にしてあげればよかったではないか!!
冬のオリオン座のでかい星を、牽牛と織女にすれば、
寒い季節に、夜空を見上げたとき、
「毎晩、仲いいね」と、ほっこりして、めでたし・・・で済むだろうに、
梅雨時というのは、意地悪な日程選びではないか?
この時期、神田神保町の書店街の通り沿いには、毎年、笹の葉と短冊が、何カ所も置かれている。
織姫や彦星が会えますように
と、今年は祈ってみよう。
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コメント
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(願い事をかなえてくれる人って・・・関西出身らしい)