201711yokohama0111月19日(日)午後、関内駅のそばで、発達障害の研修を受けてきました。
久しぶりの横浜なので、付近を少し散歩。





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伊勢佐木町。
その近くで、昼食は、味噌ラーメン。




201711yokohama03そして、食べた後、神社を発見。
ビルに囲まれた中規模の神社。
厳島神社と書かれていたけれど、横浜弁天ともあって、弁天様も祭られているらしい。


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境内に、鎌倉の銭洗い弁天のように、お金を洗う場所もあって、なんか鎌倉の銭洗い弁天と、広島の厳島神社の両方を取り入れたのかなと思っておりました。



帰宅して調べると、違った。
まずwikipediaによると、創建は1180年頃の平安時代。
横浜のこじんまりした村の先の洲干島(しゅうかんじま)に、神社を建てて、洲干弁天社と言われていたそうだ。

祭ってあるのは、広島の厳島神社と同じ宗像三女神。
宗像三女神は、この頃、世界遺産で有名な福岡県の宗像大社が本社で、海に関わりのある神様。
その三女の市杵島姫命(イチキシマヒメ)が、弁天様なのであった。
弁天様は、水、海に関連しているので、海、池の近くに多い。江の島とか、井之頭公園とか。天気予報も観測器もない昔は、船で海に出る、川や海が氾濫するのは、危険で、洋の東西を問わず神様に無事を願うものだったからだ。
そして、財宝、美、音楽芸能に関連しているので、銭洗いという現実的な風習を考えた人がいたのだと思う。

「The Yokohama Standard」のホームページによると、幕末の開港の頃には、今とは違った場所にあったことがわかる。

当時は、今とはまったく風景も場所も違う。
1869年に、今の羽衣町に移転して、厳島神社と改称したそうだ。
福岡県の宗像大社は、大昔は、日本と大陸との交流の要の場所だったので、そこの安全を人々が願ったのは自然な発想だ。幕末の頃は、横浜が、外国との交流の要に、急に変わったので、元々、横浜の小さな村の弁天様だった神社に、人々の期待が増してしまったのかなと想像した。

私の母方の祖父は、明治の末期だか大正の初めに、この近くに出てきて、大正時代には、長者町で額縁店を営んでいた。
祖父からは、この神社のことは聞いたことはないが、たぶん神棚はあったはずなので、何かご縁があったのかな?と、思ったりしたのであった。



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