2018年6月17日に書いた原稿を、2020年12月29日加筆修正しました。
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銭洗い弁天は、鎌倉市にある宇賀福神社
で、そこの洞窟から湧く水で、お金を洗うと何倍にもなって戻ってくるといわれる神社である。

平安末期(12世紀ころ)、鎌倉は災害が続き、貧困にあえぐ庶民のために、源頼朝がお告げに従って、この地の湧水で神仏を清めて、世の救済を祈願したそうだ。災害には、疫病や飢饉も含まれる。
そして、銭洗いの風習は、「北条時頼の銭洗い」というサイトによると、13世紀の北条時頼が、「弁財天を信仰する者が、この水で、お金と心身を洗い清めれば、不浄なものが消えて、福がもたらされる」と聞き、お金を洗って、一族繁栄を祈ったのが、始まりだそうだ。

神社で、心身を清めると言うのはわかるが、なんでお金まで水で洗うのか?
弁財天という神様は、水に縁があるのは、わかるのだが、不思議ではないか?
一般に、神社で神様に備えるのは、お米とか、人々が収穫した食物だ。

お金を洗うと言えば、強迫症、強迫性障害(OCD)の一部の患者さんでも見られる。
お金を触った後、手をウェットティシュなどで拭く人もいる。
お金は、不特定多数の人がさわるので、汚れがたくさんついていると思うからだ。

調べると、平安時代は、天然痘、疱瘡などの疫病が、度々、流行ったそうだ。
末廣医院>医療の歴史(59) 平安時代の疫病
平安末期~鎌倉期にかけての自然災害・疫病等の大流行について

平安末期には、近代的な医療はないから、疫病が流行れば、人々の恐怖も相当なものであったろう。
だから、頼るものといえば、神仏に祈ることや、汚れを洗い落として清潔を心掛けるくらいであったとも考えられる。

関西の都で、疫病が流行れば、そこから来たお金を洗いたくなる人がいても不思議ではない。
また、疫病で亡くなった人が身につけていたお金なら、当時の人だって、洗い清めたくなったかもしれない。
また、洗いながら神様に祈願すれば病気から守ってくれると思うとか、普通の水よりも神社の水なら、洗い清める作用がより強いだろうと思う人がいたのではなかろうか?
新型コロナウイルスが流行れば、除菌行為を徹底する人がいるように、疫病が流行れば、強迫的な洗浄行為も流行ることがある。これだけだと、強迫的ではあるが、強迫症といえるかどうかは、わからない。

しかし、強迫症というのは、時代や地域に寄らず世界中のあらゆる地域で、患者さんがいる病気だと考えられている。
シェークスピアの戯曲「マクベス」は、11世紀のスコットランド王を描いた作品だ。(注1)
その夫人が、いくら洗っても落ちない強迫症状に悩まされていた記述が書かれている。
11世紀といえば、日本では平安時代で、銭洗い弁天ができた時期に近い。それくらい昔でもあった病気なのである。

201806zeniarai以上のような理由で、平安末期に、お金の汚れを洗うのに、宇賀福神社の湧き水なら、より効果があると思った強迫的な人がいたのではなかろうか。
その洗っている姿を、他人に見られてしまった時に、「正直に汚れを落とすためと答えたら、異常者と思われる」という思いに駆られてしまうことも考えられる。
そこで、とっさに出た言い訳が「この水で、お金を洗うと神様のご利益があるらしいから」。
それを聞いた村人は、「それなら俺も」と真似をし、いつしかそのうわさが広まってしまい、銭洗いの名所になってしまったのではなかろうか。

銭洗い弁天で、お金を洗う風習は、何百年続いているのか知らないが、そこでお金を洗った人は、数えきれないほどいるだろう。
しかし、実際に、どのくらいの割合の人がお金持ちになったろうか?
逆に、収入が増えた人は、自分や企業が頑張ったせいとか考える人も多いのではなかろうか?

そもそも、あなたが神様なら、一生懸命に働いた人に、ご褒美的に富をもたらすのならともかく、ただお金を水で洗っただけの人に、それを増やしてあげたいと思うか?
そんなんで儲かるなら、人々の勤労意欲をそいでしまうぞ。
上記のように、一般的な神社の神様は、人々が働いて収穫したものを奉納されることで、人々の勤労をたたえ、繁栄を守ってあげるものだからである。

そう考えると、銭洗いの由来は、強迫症ではという疑いは、もっともらしいのではなかろうか。

注1:マクベスと強迫症については「小さなことが気になるあなたへ」の第85回OCDコラムに書いた。著者名を掲載していないが、原稿を書いたのは私だ。現在、このサイトはない。


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