デヴィッド・ボウイさんの1979年のアルバム「ロジャー(間借人:Lodger)」から、シングルで出た曲。
当時は、プロモーションビデオの斬新さが目を引いた。
しかし、ビデオの中でボウイが演じる内容は、歌詞の意味がわかると「なるほど」と思えるものなので、よろしければ、このブログ記事を最後まで読んでほしい。

ボウイさんの本名は、デヴィッド・ロバート・ヘイウッド・ジョーンズで、最初はデヴィッド・ジョーンズでデビューしたが、1966年(19歳頃)にデヴィッド・ボウイに改名した。
本名デヴィッド・ジョーンズのイニシャルは、D.J。
ディスクジョッキーのDJとかけてはいるが、D.J=デビッド・ジョーンズは、デヴィッド・ボウイを演じていて、世界中のファンを獲得したことをイメージした曲だ。



英語の歌詞はgoogleから引用--------------------------------------------------------
DJ

作曲・作詞:David Bowie デビッド・ボウイ
訳詞:有園正俊

I am home, lost my job
And incurably ill
You think this is easy, realism
I've got a girl out there, I suppose
I think she's dancing
Feel like Dan Dare lies down
I think she's dancing, what do I know?

自宅にいる、仕事をなくした
治りにくい病気になった
人はこれを気楽に考える、現実主義
外には彼女がいる、想像さ
彼女は踊っていると思う
ダン・デア(SFマンガのヒーロー*1)が横になって休む気分だ
彼女は踊っていると思う、私は何を知っているかって?

I am a D.J., I am what I play
Can't turn around, no, can't turn around, no, oh ooh(*2)
I am a D.J., I am what I play
Can't turn around, no, turn around no, oh no
I am a D.J., I am what I play
I've got believers (kiss kiss)
Believing in me

私はD.J.、演じている姿が私
方向転換はできない、転換できない、フォーフォー
私はD.J.、演じている姿が私
方向転換はできない、転換できない、オーノー
私はD.J.、演じている姿が私
私は信者(*3)を獲得してきた(キス キス)
私を信じ込んでいる


One more weekend
Of lights and evening faces
Fast food, living nostalgia
Humble pie or bitter fruit

別の週末
明かりと夕方の顔ぶれ
ファストフード、郷愁
ハンブルパイか酸っぱい果物か


I am a D.J., I am what I play
Can't turn around, no, can't turn around, no, oh, ooh
I am a D.J., I am what I say
Can't turn around, no, can't turn around, ooh

私はD.J.、演じている姿が私
方向転換はできない、転換できない、フォー
私はD.J.、言った言葉が私
方向転換はできない、転換できない、フォー

I am a D.J., I am what I play
I've got believers
Believing me

私はD.J.、演じている姿が私
私は信者を獲得してきた
私を信じ込んでいる

I am a D.J., I am what I play
Can't turn around, no, can't turn around
I am a D.J., I am what I play
Can't turn around, no, can't turn around
I am a D.J., I am what I play
Can't turn around no (kiss-kiss)

私はD.J.、演じている姿が私
方向転換はできない、転換できない
私はD.J.、演じている姿が私
方向転換はできない、転換できない
私はD.J.、演じている姿が私
私は信者を獲得してきた(キス キス)
私を信じ込んでいる


Time flies when you're having fun
Break his heart, break her heart
He used to be my boss and now he is a puppet dancer
I am a D.J., and I've got believers

皆が楽しんでいる時間は立つのも早い
彼の心を裏切る 彼女の心を裏切る
かつては私のボスだったが、今では人形劇のダンサー
私はD.J.、信者を獲得している


I've got believers, I've got believers
I've got believers in me (I've got believers)
I am a D.J., I am what I play, I am a D.J

私は信者を獲得してきた
私は信者を獲得してきた
私は信者を獲得してきた(私は信者を獲得してきた)
私はD.J.、私は演じている姿、私はD.J
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注釈:
*1ダン・デア・・・ボウイの少年時代1950年代のSFマンガの架空のヒーロー。デビッド・ボウイが、ジギー、ヤングアメリカンなどを通じて、ロックスターを演じてきたことを、架空のヒーローみたいだと例えている。
*2play・・・(劇などで)役など演じる、
turn around・・・方向性を変えるという意味。
*3信者(believer)・・・DJ、ロックスターとして演じてきた姿を信じて、ファンになってくれた人々。


この曲を出した1979では、デビッド・ボウイさんは32歳。
当時、ベルリンに住み「ロウ」「ヒーローズ」「ロジャー」と3枚のアルバム(ベルリン3部作)を発表した。ベルリンの壁が崩壊する1989年よりも前、冷戦時代の西ベルリンだ。
20代で、グラムロックのブームに乗って、商業的に成功した。ただ、当時のボウイの特徴は、音楽もパフォーマンスもグラムロックから、ヤングアメリカン、ベルリン3部作のように、どんどん変遷していったことだ。
しかし、その間、ロックスターとして世間に公表されているイメージと、実際のボウイとの間に、かなりのギャップがあったのではと思う。

プロモーションビデオで、表通りで、人々と仲良くして、キスされるがままになっているのが、DJが演じている世界を表している。
歌詞の最初の方の「incurably ill(治りにくい病気)」というのは、おそらく精神的なものだと思う。
ビデオの室内に戻ったシーンでは、表面の生活に耐えられなくなったボウイが、室内の物を壊していく。世間の目には触れない密室で。
そして、歌詞のさびの部分は、ファンが信じている、DJが演じているイメージを裏切ってしまったら・・・というように、今や自分自身が操り人形のようになってしまっているという内容だ。
ビデオでは、破壊の最後に、カーテンをはいで、白日にさらしていく。
曲の最初に、「lost my job(仕事をなくした)」とあるので、この破壊的な行為した自分を、白日にさらしたおかげで失職したという意味になるんじゃないかと思うのだけれど、歌詞の時系列がよくわからない。
しかし、D.Jであるデビッド・ジョーンズは、デビッド・ボウイを辞めることはできないのだから、皮肉な話だ。
ビデオの最後で、「DJ」とスプレーであえて書いて、DとJの間にレコードを置いているのは、位置がちょっとずれるが、ピリュードか中黒点みたいな意味かと・・・つまり、DJ=ディスクジョッキーではなく、D.Jというイニシャルなんだと、視聴者に匂わせて、終わっていると思うのは、想像のしすぎだろうか。
ボウイは、昔、パントマイムをしていたこともあって、無言のパフォーマンスに意味を匂わせる表現は、ステージでもビデオでも、得意な人ではある。

このような社会の表面に出した姿と、実際の自分とのギャップは、次のアルバム「スケアリー・モンスターズ」の「Ashes to Ashes」にも共通している。
デビッド・ボウイさんの曲の訳詞は、当ブログの次のページに。
2016年5月11日 洋楽和訳2 追悼 デヴィッドボウイ Ashes to Ashes
2017年12月31日 洋楽和訳8 デヴィッドボウイ Fashion

この曲では、DJやロックスターを演じていた人を扱っているが、たとえば、表面では、優等生を演じてきたとか、家庭でよき母、父の役割をしてきたが、本当の自分はそうでない面もあるというは、多くの人が共感できるテーマではなかろうか。
また、自分や所属する組織が悪い状況になっていても、何らかの事情によって、方向転換できないというのも、多くの人が経験する話だ。
この頃のボウイは、そういう人間の危うい面を、テーマにした曲も書いていた。

「ロジャー」のプロデュースは、ブライアン・イーノさんで、当時の彼の仕事は、斬新で、とても刺激的だった。ボウイは、バンドメンバーを固定させない分、プロデューサーやミュージシャンを変えることで、当時は、どんどん新たな境地を展開していった。
この曲のギターのパートは、カルロス・アロマー、エイドリアン・ブリューだけれど、この音がギター?って感じなのも、当時、ギター小僧だった私には、刺激的だった。
音を加工するのも、デジタルよりもアナログ的な方法が主流だった時代だから。