20211117ocha01JRの御茶ノ水駅構内に、「お茶と水」だけの自動販売機が登場した。
今年の9月にニュースでも、取り上げられて、面白いなと思った。
御茶ノ水駅は、改装中で、構内の通路に置かれている・・写真を撮ったが、まだ買ったことはない。(;^ω^)

20211117ocha02「御茶ノ水」の由来は、駅の東口を出て、交番の横にある石碑に書かれている。「慶長の昔」とあるが、江戸時代の始めの頃、ここに高林寺という禅寺があって、湧水が出ていた。その湧水を使ったお茶を、徳川秀忠将軍様に献上したのが由来だそうだ。

当時は、この辺りは、神田山と呼ばれた高台で、おそらくその崖下で、水が湧いていたのではと思う。
東京の山の手から多摩にかけての高台は、地下に奥多摩からの地下水が流れていて、崖の下や窪地で水が湧くところが、あちこちにある。神田川の水源となっている井の頭公園の池も、元々はそういう湧水だった。

20211117ocha03御茶ノ水駅の北側の、神田川が流れる外堀は、江戸時代に人工的に、神田山を掘って、作られた谷間だ。
工事以前は、神田川は、水道橋付近から、現在の首都高の下を流れる日本橋川を通って、東京湾へ流れていた。そのルートだと、川があふれると江戸城に影響するため、神田山を通過して、隅田川に流れを変える工事(天下普請)を行ったそうだ。重機もトラックもなかった時代に大掛かりな工事をしたものだ。
江戸の原型と神田川の流路というサイトを見ると、当時の江戸の地形は、日比谷入り江という海が大手町付近まであって、今とはかなり違っていたことがわかる。
また、御茶ノ水の駅の南側の高台を駿河台ともいうのは、千代田区のwebページによると、家康が駿府(すんぷ)で亡くなったあと、家康直属の家臣だった旗本(駿河衆)が、駿府から江戸に帰り、江戸城に近く富士山が望めるこの高台に多く住むようになったことに由来するそうだ。

御茶ノ水駅は、神田神保町の診療所から、三鷹の相談室へ行く時に利用する。
昔、予備校に通っていた頃から、大好きな街だ。
しかし、この川が人工的に作ったと知ったのは、それほど古くなくて・・・でも、いつだか忘れた。(笑)



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