坂東三十三観音の巡礼の続きを、9月12日にしてきた。
神奈川県内の札所は、鉄道の駅から比較的近く行きやすいので、1日で3カ所も回れた。
ただ、今後は、アクセスが難しい場所が多いので、どうなることやらだ。

20220912ban01さて、最初は、小田急線の座間駅から歩いて10分の星谷寺(しょうこくじ)、8番札所に行った。
奈良時代の天平年間(8世紀)というから、約1300年前に、できたお寺だ。



20220912ban03星谷寺の西、この先に、相模川がある。
その向うの山は、大山。
当時は、陸路での移動は難しいので、海から相模川を上ったこの地に集落ができて、寺もできたのではなかろうか。


20220912ban02観音様は、厨子の中で、直接は、見られなかった。
札所では、納経といって、写経した用紙を納めた引き換えに、料金500円を払って御朱印をいただく。
この寺の受付は10:30からなので、しばらく待ったが、無事完了。

その後、小田急線で、藤沢に行き、JRに乗り換えて、逗子に行った。
昼食を食べて、歩いて20分ほどの岩殿寺(がんでんじ、鎌倉タイム)、2番札所に行った。
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住宅地のはずれの高台にあった。
←遠くに見えるのが、逗子の海である。
住宅地の海抜が6mとあったから、昔は、岩殿寺のふもとまで津波が来たのではなかろうか?隣の市の鎌倉の大仏は、昔、津波で大仏殿が流されて、なくなったのだそうだ。
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この寺の創建も奈良時代だそうだ。
鎌倉幕府ができるよりも、約450年も前だ。



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奥の岩穴の観音像が奥の院とされている。
このお寺も観音像は見られなかった。



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続いて、京浜急行の逗子葉山駅から、14番札所の弘明寺(ぐみょうじ)へ行った。
ここは、駅から近く、寺の門前も、商店街のアーケードがあり、門前町っぽい。
東京湾の入り江の根岸湾から、それほど遠くはなく、古代の人でも、移動できる場所だったのだろうと思った。
20220912ban08ここの創建も、天平年間であった。
創建の由来には、当時、悪病が流行り、行基様(Wikipedia)という僧侶の勅命によって、観音様を安置したお寺を作ったと書かれていたが、伝承にとどまるそうだ。
Wikipediaによると、天平時代に天然痘が流行って、日本の総人口の25–35パーセントが亡くなられたそうだ。
近代的な医療がない時代なら、神仏に頼るしかないのも無理はない。
弘明寺の観音様は、奥に見られた。後で気づいたのだが、ガイドブックによると、内陣拝観料というのがあって、もっと近くで見られたらしいのだが・・。

巡礼と言っても、ただ御朱印をいただくだけでは、スタンプラリーになってしまう。写経を納めているとはいえ、四国の巡礼のように札所の番号順に歩くわけでもない。しかし、今日は、電車を使ったとはいえ、結構、歩いた。寄り道も含め、1日で2万歩を超えた。今後もなるべく、タクシーなど使わずに歩いた方が巡礼っぽいように思うが、どうなることやら。
それと、観音菩薩というのは、法華経に出てくるのだが、なるべくその本来の意味を考えながら、お参りしたいとは思う。昔とは異なり、法華経も現代語訳の本が出版され、読めば意味が理解できる時代になってきたのだから。




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